静岡県主催第3回ガストロノミーツーリズム研究会 焼津サスエ魚店の前田尚毅さんの講演会に参加してきた。

今回は焼津にある魚屋さん。サスエ魚店のお話が聞けるって。

先日第二回ガストロノミーツーリズム研究会については書いたばかりだが、引き続き、2023年1月17日に、第3回ガストロノミーツーリズム研究会が開催された。

■前回の「静岡県主催第2回ガストロノミーツーリズム研究会 アル・ケッチァーノ(アルケッチャーノ)奥田政行さんの講演会に参加してきた。」はコチラ!

今回はちびまる子ちゃんランドやエスパレスドリームプラザが見える清水センタービルが会場だった。場所は静岡県の駿河区だ。前回の長泉のクレマチスの丘からすると、湯ヶ島のさとあやにとってはちょっと、いや、だいぶ冒険の範囲に入る遠さだ。

ちびまる子ちゃんランドってはじめて知った・・・!会場はここから歩いて5分の清水センタービルです。

前回はイタリア料理店アル・ケッチァーノのシェフ奥田政行さんが講演を行ってくれたが、今回は魚屋さんの講演ということだ。先日の講演が素晴らしかったので、終わってすぐ3回目に行くことは決めていた。

3回目の講演テーマは「生産現場から見たガストロノミーツーリズム」という講演内容だ。

まずはチラシに載っていたことを以下にそのまま記載します。

「生産現場から見たガストロノミーツーリズム」

地元・焼津市の食材を食べて育ってきた前田氏に、生産現場の目線で、駿河湾の自然の恵みと、生産現場に携わる人の取り組み、価値観についてお話いただきます。今現在、静岡県の食材や駿河湾の魚が、全国ではどのような位置づけにあるのか、どのような印象を受けているのかを踏まえ、これからの『しずおか型ガストロノミーツーリズム』の可能性について、前田氏と一緒に考えていきます。

次に魚屋さんのご紹介(これもチラシに載っているものを下に。)

講師:前田 尚毅 氏(サスエ前田魚店 店主)

1974年静岡県焼津市生まれ。60年以上続 く「サスエ前田魚店」の5代目店主。水産高 校卒業後、水産会社で荷受や仲卸しの仕 事を学んだ後、1995年に家業のサスエ前田魚店に入る。地元客向けの小売、飲食 店向けの専門販 売、いずれの仕込み技術 も身に付ける。研 鑽の末、ミシュラン三ツ 星に輝く「鮨よしたけ」や、世界のベストレ ストラン50に日本からわずかにランクインした「傳」「NARISAWA」など、多数のグランメゾンから納品オファーが殺到するように。日本のスターシェフだけでなく、フラン スをはじめ、世界中の一流料理人が仕込み技術を学びに焼津へ訪れる。2021年には、ミシュランと双璧をなすフランスのグルメガイド『ゴ・エ・ミヨ』誌上で、魚屋として唯一、生産者に贈られる「テロワール賞」を受賞。

サスエ魚店の前田さんの講演はじまる…!

紹介を受けて登壇された前田さんの第一印象はくまさんみたいだ…。であった。丸いフォルムに柔和な笑顔。いつも笑っているからなのか、もともとなのか、目じりがさがっている。

前回のアル・ケッチァーノ奥田さんとは打って変わって、前田さんはパワーポイントの量はなんとゼロ(笑)1枚も写真も資料もない!!前回の洪水のようなパワーポイントの量から一転で、0か100かのこのスタイルの違いに笑ってしまった。

そしてどちらのスタイルも良い。前回はパワポを見ながら怒涛のトーク量の消化に全力だった為ノートを取ることが出来なかったが、今回は話が中心であるため筆を走らせることが出来た。

サスエ前田魚店は焼津で創業60年の魚店。しかしその魚店は普通のお客様のみならず今や多くの料理人やシェフが訪れる場所にもなっている。

「自己紹介を…」と言って話し始める前田さんは、講演というよりはむしろ知り合いに何かを語りかけるような話し方だ。ぽつりぽつりと話す静かさが魅力的。

「自分が魚のさばき方をまだ知らない時から、自分の魚を仕入れてくれていた人がいたんですよ」と上目遣いのくりくりお目めを会場に向け講演ははじまった。何も準備してなくてぶつけ本番なんだと言いながらも、目の前の人たちに向けて緩やかに進むその語り口調は暖かい。「そういう一人前になる前から買い続けてくれたその方に恩返ししたくて魚の知識を勉強し身に着けてきました」とおっしゃる。ところがその方がすい臓がんを患い仕事を引退することになった。前田さんとしては一人前になる前からその人を想い勉強をし仕事をしの毎日だったのだから、その言葉を聞いた時はさぞかし寂しい想いがあったろうと想像する。

そしてその熱量を注いできた恩師にあたる方が前田さんに言ったのは「(この先は)次世代を育てることをしてほしい」という熱い想いと自分がいなくなった後にも続く願いだった。

そこから前田さんは次世代の料理人を輩出へと走り出すことになる。

板前てんぷら「成生」(なるせ)

今でこそ日本で予約の取れない天ぷら2大巨頭に入っているお店のひとつに2007年に開店した「板前てんぷら成生(なるせ)」がある。

座席は7席。このお店「どうやったら予約が取れるのか」というレベルのお店になっていて、県外のみならず、世界からお客様が来る天ぷら屋さんだ。しかし店を始めた時は7席のカウンターを埋められない日々が続いたという。2人や3人しかお客様がいないということも当たり前。

静岡県は日本一高い富士山と、日本一深い駿河湾を持っている。この環境の豊かさを活かしてもっと盛り上げたい!!!という想いを持っていた前田さんは、とある日、成生のご主人とケンカをした。

「なぜ静岡に店を構えているのに築地から魚を仕入れるんだ!本気を出せ!」

と。内容は詳しくは語られなかったけど、この調子だと相当なケンカだったのだろうと思う。

そのケンカで気づいたのは、料理人自身が駿河湾の魚の素晴らしさに気づいていないということだった。ずっと魚を買い付けてくれた恩師からの言葉もあり、てんぷら成生と共に世界に通用する食を追求することになる。

後半に行われたパネルディスカッションの写真。前田さん単体のを取り損ねてしまいました。(;´∀`)

世界における静岡県の立ち位置

さて、海外の人は「東京」「富士山」「京都」と口にする。富士山がある静岡県だが「静岡」とは誰も言わない。知らないのだろう。知らないものは口には出来ない。つまり静岡は富士山が見えるただただ通り過ぎる場所であって、富士山がある場所に静岡がたまたまあるのであって、わざわざ降りる場所ではない。それが海外から見た静岡県である。それでもこの場所には美味しい魚があるのだ。

天ぷら成生と歩み始めて5年目、ついに県外からお客様が来てくれるようになった!県外から来てくれたお客様の1人は「新幹線を使ってもここに通う甲斐がある」と言ってくれた。風向きが変わってきたことを感じた瞬間だ。

リオオリンピックのバトンリレーから得たヒント

当時リオオリンピックのTVを観ていると、リレーで日本男子が銀メダルを獲得していた。興味深かったのは選手1人1人の記録を見てみると世界ランク上位に入るような人はいない。それにもかかわらず銀メダルを取れたのは何故か。紐解くと鍵はバトンリレーにあったという話だった。なんと個々の力ではなく、バトンのつなぎで、世界と闘ったのだ。TVを見てバトンの秘話を知った前田さん。

それでは今の静岡の魚事情をリレーに例えたら?と、魚をバトンに例えて考えてみた。

今静岡には、第二走者(魚屋)と第三走者(料理人)はいるが、第一走者(漁師)と第四走者(県外や海外からのお客さん)であるアンカーがいないという状態だと思った。

第一走者スターター(漁師)ー第二走者(魚屋)ー第三走者(料理人)ー第四走者アンカー(客)

この世界基準の食のリレーを勝ち抜くには、第一走者であるスターターからアンカーまでが質の高いバトンリレーで繋がれなければ、世界に誇るような料理を提供することは出来ないと前田さんは考えた。先ほど書いた通り日本一の富士山と、日本一の駿河湾があるこの豊かな静岡において、深い駿河湾に生息する深海魚を扱う必要があると思っていたタイミングだったが、深海魚を獲ってくれるスターターの漁師さんがいないのであった。

それまで駿河湾の深海魚は光が充てられていなかった。需要がなければ漁師さんは獲りたくないのは当然だし、少量獲ったからと言って高級魚でもない魚を扱いたくはない。であるならば何故わざわざ普段やっている動きと異なることをしてまで深海魚を獲る必要があるのか、ということだ。

だからまずスターターである漁師さんを口説く必要があった。一緒に強いリレーを作って走ろうということだ。

ところが最初全く話にならない。門前払いは当然。家の前で話を聞いてくれるまで帰りませんと言い長い時間居座ったこともあった。近所の人からおかしな目で見られて、漁師さんが耐えきれず仕方なく家にあげてくれたこともあった。

話を聞いてくれたとて、こちらの願いを聞いてくれるということでもない。

それでも行動し続けられたのはパートナーがいたからで、これは1人ではできなかったことだと強調しておられた。リレー同様、魚もチーム戦なんだな。。。

魚だけに目から鱗がたくさん落ちた。

さとあやは今回の講演で初めて知ったことがたくさんあった。頭のどこかではよく考えればわかることだったけど、「そうか!」と思ったことが多かった。

例えば・・・魚は色んな水深で生活している。その場所によって水圧も違うし、回遊魚であればずっーと泳ぐための筋肉が発達しているし、肉質も異なる。そういう様々な特徴のある魚を獲るということはどういうことなのかを考えたこともなかった。

魚に針がかかった瞬間から水揚げされるまでの間、住んでいる水深(駿河湾の深海魚であればなおさら通常の海より深い場所)からすごい勢いで海面まで釣り糸で上昇させられる時間、魚の体にはとてつもない負荷がかかる。さらに海面に出たらそこから無酸素状態となる。

回遊魚であれば筋肉が発達しているので、無酸素状態が長く続くと、乳酸が出て魚の味がかわるとのことだ。知らなかった!

そして日本人には馴染みあるマグロはずっと泳いでいて、他の魚よりも3-4度温度が高いのだそうだ。だからこそよりいかに早く冷やすかの温度管理が大事になってくるともおっしゃっていた。

魚のリレーめちゃくちゃ面白い!!!!

サスエ魚店の前田さんはいくつもある漁法の中でも「どういう風に獲ってきて欲しいのか」をリクエストして漁師さんに持ってきてもらうのだ。さてリレーに例えれば漁師さんの次にバトンを渡されるのが魚店となる。様々な魚の種類と状態(先ほどで言えば筋肉に乳酸がたまっていたり、体に負荷がかかることで生じている何かだったり)がある。そういう魚たちのコンディションを整えるのがサスエ魚店の仕事だそうだ。魚も人間と一緒で苦しんでいる状態では筋肉が良くない状態になる、それを出来る限りいい状態に保つよう仕事をするのだ。(確かにスポーツ選手も全力で戦ったあとは、柔軟体操したり、筋肉冷やしたり、怪我をしたら手当をして、次の試合にコンディションを整えるものね)

コンディションを整える時に、次の第三走者である料理店でどのように調理される(火入れするのか、冷たい状態なのか等々)のかを把握した上で仕事をしていくのだそうだ。魚は保水する力があるので、その水分量を調節し加熱に耐えられるコンディションを作りあげ、届けることが可能となる。今流行りの“低温調理”も魚の筋肉が低温調理に耐えられるコンディションになっていなければ美味しくはならない。そうやって調理法と保存法をすべてカスタマイズしていくのがサスエ魚店のやり方で、プロフェッショナリズムの徹底の仕方なのだ。めちゃすげーい!その細やかな仕事の積み重ねの結果、料理人たちはサスエ魚店を訪れるようになっていったのだった。

最後の質疑応答の時間でお応えになっていたが、災害などが発生した時に飲食店に運べない状態になった時であっても、事前(確か5日後だったと思う)にどんな料理になるのかを把握した上で包丁を入れたり冷やしたりしているので、数日であれば何かが起きても問題がないと言っていた。その一軒一軒のレストランに対応した作業は当たり前だが「すごい時間かかります」と言っていて、本当に大変なんだろうなとも思ったし、それこそが魚店のプライドなんだということが声と眼差しから感じ取ることが出来てかっこいいなと強く想った瞬間だった。

成生と仕事をして7年が経った時、ついに欲しい魚種(魚の種類をこういう言い方するんだね~)は全て揃えられるようになっていた。すごい以外の何物でもない。

印象的だった前田さんの言葉

どんな話の流れだったか忘れてしまったのだけど、サスエ魚店 前田さんから素敵な言葉があった。

「僕ね1万円のマグロを50円のイワシでひっくり返したいんですよ。」

という言葉だった。

雑魚(ざつぎょ)と呼ばれる種類の魚は、価値がつかなかったり、捨てられてしまったりしているけど、それらだって一生懸命漁師さんが獲ってきてくれた魚。

だからこそそういう魚も大切にしたいという想いがある…けれど、そこの折り合いがついていない世の中の動きにきっと違和感や残念さをお持ちなのだとも思った。人間側の都合で存在する価格という概念だけど、命という点では一緒なのだよなぁ…。

これは私もふと考えることはあり、必ずしも高額なものが絶対的に美味しいかと言えばそうでもないということだ。

もちろん金目鯛も黒むつもウニも香箱ガニだって美味しいのは美味しいけれど、前田さんが言ったイワシだってめちゃくちゃ美味しい。さとあやが西伊豆で見かける初めて見る謎の魚だって、一匹しか売ってなくたって、食べたら美味しかったりする。マイナーすぎて人は価値をつけられない、そういう理解できない魚に高い価格をつけても買う人がいない。

それでもストーリーをつけたり、人間関係を挟むことであまりとれない魚や、誰にでも釣れるから価値がつかない魚に価値をつけることが出来るのだ。それが付加価値なんだ。お金で買えない価値は人の温度で出来ているとも言っていて、サスエ魚店がやるからこそ、前田さんがやるからこそ、価値の低かったところに価値を見出せる可能性と漁師さんが報われる世界がありえるのだと思う。

最後に

今回もとても有意義な時間でした。次回参加することは出来ないのですが、是非ご興味ある方は登録してください!(オンラインとオフライン両方あります)

↓ガストロノミーツーリズム研究会のHP

https://sites.google.com/view/shizuoka-gastronomy/

前回の奥田さんしかり、前田さんしかり、何かを切り開いてきた方の舞台裏は地道で、痛みの伴う経験がたくさんあることを毎度感じる。そういう道を通過せずして成功を勝ち取る人もいるかもしれないし、必ず険しい道を通らないといけないという必須事項でもないのだけれど、その道からもらった経験や、それ故に人に優しくなれたことや、多様性を包含できる能力みたいなものは何物にも代えがたい恩恵に違いないと感じるのでありました。

前田さんありがとうございました!!!!

投稿者プロフィール

さとあや
さとあや
「すべての人に、ふるさとを。」
東京生まれ、東京育ち。楽天に入社し後半の5年間は「楽天トラベル」に所属。伊豆を担当した中でも「天城湯ヶ島」というエリアに恋をした人。東京からの移住に取り組むこと半年、伊豆市地域おこし協力隊に合格。そして7か月目ついに移住できる古民家に出会いました。天城湯ヶ島への想いと古民家プロジェクトを中心に綴ります。