ワークショップ「すべての人に湯ヶ島を。~田植え編~」の実施に漕ぎつけるまで。

東京組と湯ヶ島組とのオンラインミーティング

このミーティングの名前は「湯ヶ島アイデアプロジェクト」。

最初から何か目的があったわけではなく、この湯ヶ島地区をより盛り上げていくには何が出来るかな?というところから集まった有志であった。

最初東京組2人(IT企業と建築関係者)、湯ヶ島組2人(飲食業と市役所職員)、そこにさとあや(東京と湯ヶ島のハーフ)の5人のミーティングだった。途中から御殿場(システムエンジニア)の1人が加わりこの6人のミーティングはおおよそ2週間に1度行われた。

東京組の1人はまだ一度も湯ヶ島に来たことはないのだけど、写真や地図とみんなの話で想像しながら毎度ミーティングに参加する。かれこれ1年くらい続いている。

一番最初は何が湯ヶ島のいいところで、問題なのだろうかということをたくさん洗い出した。問題と思うことはたくさん出たけど、その問題の解決と、うちらで何が出来るかなぁと数か月話していました。

近所の90代愛されおばあちゃんが亡くなる。

そんな中近所の90代のおばあちゃんが亡くなった。田んぼも畑も何でもやるスーパーおばあちゃんはとてもみんなに愛されてました。知識も体力も並大抵ではなかったのだがある日突然亡くなった。

おばあちゃんの田んぼと畑はお寺の参道から見える位置にあって、湯ヶ島の風景を作っていることに違いなかったのだが、存命の時から「継ぐ人がいないから困ったねぇ」ということを言っていたのを思い出した。

観光客としては田んぼがその辺にあるのは当たり前でしょと思っているのだが、住民側から田んぼを見ると、どこの田畑も高齢の方が支えていて、数年後あるかどうかわからないよという状況だ。

田畑をやれるくらい元気であっても、「かったるい」とよく口にする。(これはこちらの方言で、めんどうくさいというセンスが強い!)私も少しの時間手伝っただけで、確かに「かったるい」と言いたくなる気持ちがよくわかる。このかったるい作業を続けてうん十年の人生の先輩たちはとても偉大だ。この辺の人たちは自分をとっても低くして謙遜する「大したことしてないさー」とか「こんなのただやってるだけだからー」とかいうのだけど、野菜の育て方も、天候のことも実はたくさんの知識を持っているの。

そういう英知が詰まったおじいちゃんおばあちゃんで支えられているこの土地に、水が貼られていない田んぼを見つけることがある。何らかしらの理由で耕すことがやめられた田んぼだ。聞けば田んぼは一旦放置して、しばらく休ませてしまうと、復活させるのは大変になると聞く。そして近所と田んぼとの関係もあるので、害虫が発生してもこまるから草は刈り続けないといけない。田んぼというのは続けるのもやめるのも大変だ。

移住者のさとあやはそんなこととはつゆしらず、楽天トラベル担当の頃から田んぼの景色に魅せられ、そこにいる作業している人にも魅せられ、ただただ癒されていた。これがまさに旅行の景色の一枚だ、と。だからさとやまつくる株式会社を作った時に、都会の人に提供したいワークショップの一つにはずっと田んぼ仕事のイメージがあった。私の心のふるさとの風景だ。

最初天城湯ヶ島エリアでも自分が住んでいる北側で手で植える田植えの場所を探した。その時に90代のおばあちゃんが耕していた田んぼのことを思い出した。「あそこはどうなったんだろう」。聞けば耕さないことを決めたらしかった。驚いたけどお米の籾だねというのは何と半年や1年前に注文するらしく、注文分しか籾だねを作らないようだ。おばあちゃんの田んぼは籾だねを注文していなかったこともあり、人手のこともあり、やらないことが決まってしまった。

ということで同じエリアで別の田んぼを探したが、田植え機を入れたりコンバインを入れて効率化しているのに、なぜわざわざ手植えをするのかと、非常に迷惑な注文であるさとあやに首を縦に振ってくれる人はいない(笑)

食べるものを作っているのであり、観光じゃないのだぞ、というメッセージがバリバリ伝わってくるのであった…。

天城湯ヶ島エリアの南に茅野という地区がある。ここに地区の方中心で構成されている茅野はちくぼ会の皆さんが耕している棚田がある。存在は知っていたし、はちくぼ会のメンバーの中に知り合いはいるものの、団体との関りはなかった。

きっとはちくぼ会の皆さんに相談すれば何とかなるかもしれないということで、手で田植えをしたい旨を話しに行った。

ちなみにここは「ふじのくに美しく品格のある邑」と「日本の棚田百選」に登録されている。

はちくぼ会の代表、山本宗男さんに出逢う。

ドキドキしながら宗男さんの家にうかがった。

第一印象。すごい目力。

キャッチコピーをつけるのであれば「生きる力」と一瞬にして思った。

ある日のむねさん。目力写真はなかった。ところでこの耕運機レトロでかっちょいい。

「で、あなたがやりたいことだけど」

と愛称むねさんは大洪水のごとく話し始めた。

私のやりたいことを要約してくれ、いつの間にか話しはここ茅野の田んぼがもともと荒廃農地でそれを復活させて作った棚田であったという話から、山本家の歴史から、田んぼに関わる早稲田大学生や静岡大学生の話と川の流れのように気づけば1時間経っていた。

さとあやが話したのは正味15分だったが、あれよあれよとワークショップ実施決定となった。会場は茅野の棚田、そして最強の共催「茅野はちくぼ会」となったのだった。

次回へつづく!

天城湯ヶ島はそろそろ梅の時期。この梅シロップは毎年仕込まれとっても美味しいです✨

投稿者プロフィール

さとあや
さとあや
「すべての人に、ふるさとを。」
東京生まれ、東京育ち。楽天に入社し後半の5年間は「楽天トラベル」に所属。伊豆を担当した中でも「天城湯ヶ島」というエリアに恋をした人。東京からの移住に取り組むこと半年、伊豆市地域おこし協力隊に合格。そして7か月目ついに移住できる古民家に出会いました。天城湯ヶ島への想いと古民家プロジェクトを中心に綴ります。